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「1974沖縄写真学校」より

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  • 2020年12月3日
  • 読了時間: 3分

「すでに新しい写真の時代は始まっている。いまこそ、写真について考える時だ」

 日本復帰から2年後の1974年、那覇市八汐荘において森山大道、荒木経惟氏外5名の講師による沖縄ワークショップが開かれた。

25歳の私は当時、一般平均給与以上の3万円の授業料に勇気を出して講義を受けた。

沖縄写真界の重鎮、故山田實先生、第二回木村伊兵衛賞の故平良孝七さんと、20代から50代の写真家や写真愛好家30名ほどが参加していたことを思い起こす。

 目隠しをしてカメラのシャッターを切ったり、沖縄市の古ぼけたバーの一角で光にこだわった撮影など、当時は撮影意図がなかなか理解できない事も沢山あったが、楽しかったと思えるワークショップであった。撮影後は講師の作品などを前にして写真の読み方や捉え方などの勉強会があり、その後泡盛、ビール等で酒盛り反省会なる宴会が開れ、それはそれは賑やかなお祭りのような反省会であった。

とくにアラーキーこと荒木経惟氏が毎日、昼夜と元気に動き回っていたのが懐かしく記憶に残っている。シャイな性格の荒木氏の一面をはたで見れた事は写真家以前に人としての生き方を見せて貰えたようにも感じた。

ほかの4先生方も一様寡黙な佇まいではあるが、奥底の 眼光は鋭く、そこに写真家として野心や一流の空気が漂っていた。

 回想をすると、5名の講師方も異文化薫る沖縄に於いて自分の作風や日本というテーマ、作家同士で作る写真におけるの互いの関係性などを探っていたのだろうか?。

 はたまた、写真の力で日本を変えようと思考していたのか彼らは当時日本の写真界で写真展や写真集出版など、カリスマ的に力を発揮している超一流の写真家たちであった。私の思い出に細江英江氏、東松照明氏のプリントにおけるグラデーションの素晴らしさに感動したこと、森山大道氏のプリントに影響を受け、アレブレ写真を模倣したり、アラーキーにも大きく影響を受けヌードで作品作りをしたりして、今でも当時の思い出が蘇る。

 そう言えば、深瀬昌久氏の事で彼の実家は私と同じ営業写真館で実家を継がず写真作家になった方だった。作品も風貌からは感じられない?、超心象的で他の方とはまた一種、違ったオーラを感じたものだ。1956年~1958年代、アメリカで活躍していたロバートフランク、ウイリアムクラインの写真に森山大道、アラーキー氏達作家も作品創りに少なからず影響を受けていたのであろうか、他者の作品を参考にすることが世界の写真作家の風潮だったのだろうと考えられた。又、それは写真のみならず絵画などにも多く見られた古典的技法でもあった。

 46年後の現在、写真業界はアナログからデジタルへ移行し作家の表現方法も多様化している。テクニックもアナログでは表現できないことも可能になり、多岐にわたる作品が表出している。業界では長い歴史を誇る写真雑誌アサヒカメラが今年7月号をもって、休刊に追い込まれた、

現在の様にSNSなど表現媒体が無い時代に出版された写真雑誌として映像表現時代を作り上げた功績は大きい。

多くの作家がお世話になった、富士フイルム社もモノクロフイルムや印画紙の製作販売を取りやめる動きが加速する。暗室で嗅ぐあの酢酸の臭いが徐々に消えていくのか…。

時代の流れでは済まされない侘しさが体の中から静かに沸きおこる。









 
 
 

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