写真展開催情報

沖縄写真デザイン学校
感謝を込めて大卒展会〜BIG LOVE〜
沖縄写真デザイン学校第13期卒業作品展
会期:2026/2/24(火)〜3/1(日)10:00〜19:00(最終日は17:00まで)
会場:那覇市民ギャラリー(パレットくもじ6F)入場無料
写真展開催情報

スマホ展 VOL.1
会期:2026/2/11(水)〜2/28(土)10:00〜18:00
※火曜及び第三日曜(2/15)休廊
会場:平敷兼七ギャラリー(浦添市城間1-38-6)
写真展開催情報

大嶺七奈 桜井亜希子 Duo Photo Exhibition
「Re」大嶺七奈/「すくいとる光」桜井亜希子
会期:2026/2/13(金)〜2/28(土)PM8:00〜AM3:00
2/23(月)PM3:00〜PM9:00
2/15(日) 2/24(火)定休日
入場無料
会場:3+3 ART SPACE
沖縄県那覇市牧志1-3-17 bar 3+3 2F
写真展開催情報

滝畠豊美写真展
余温 台湾路地遊歩
会期:2026/3/20(祝)〜3/24(火)11:00〜18:00
※最終日はPM:500まで
入場無料
会場:あおみどりの木
沖縄県那覇市松尾2-19-10
コラム
懐かしい写真展のDMがでてきた。
写友、小橋川哲との今では知る人も少ない沖縄物産センターで開催した「女・2人展」のDMだ。
今から42年前の1978年に開いた写真展で女性の裸体を晒した写真で構成され、少し騒めきを起した様に覚えている。
H16年、H18年に県立美術館で開いた裸体写真で表現した個展は騒めきも何も起こらない静かな写真展だった。
時代だったのだろうか、この違和感は何だろうか?
DMには琉球放送局のディレクターだった宮城秀一氏の素晴らしい評論が掲載され私たちの作品をより引き立ててくれた事を思い出す。それにしても沖縄において、女性の裸体を描写することがマイナー的表現に取られている様に感じられる。何故だろう。
現代ほど様々な分野での芸術表現が多様化している時代はないだろうと思う、故に受容側におけるキャパシティの広さが求められ、帰するところは個々の生理的判断に委ねるしか無い。
沖縄県写真協会会長 東 邦定
コラム
下地良男
「記憶の中の風景」
宮古島市(旧平良市)で写した写真3点を投稿します。
これは宮古島市・市政10周年記念文化祭の「写真展」に招待出品したものです。 3点とも1980年代に撮影したものですが、当時、発表しなかったのは写真がすごく平凡に思えたからです。しかし、こうして長い年月が経つと不思議にも以前とは違って見え始めたのです。それというのも、33年の間にここに写っている風景がすっかり変わってしまった、と言うことがあります。赤いポストのある雑貨店は今は瀟洒なホテルに取って代わったし、布堂(ヌヌドー)の漁港もすっかり埋め立てられて昔を偲ぶよすがもありません。 ここに記録写真のおもしろさがあると思います。古い写真は芳醇な古酒のようだと誰かが言いましたが、言い得て妙です。 ただ、古い写真の芳醇さと良さは地元で育った者にしか分からないものです。そこがどう変わったかを外部の人は全く知らないからです。そのことから、記録写真といえども作品として発表するからには、時代を超え、地域を越えた普遍的なものでなければならないと密かに思っております。では、これらの写真に普遍性があるのか。これは、もう、江湖の厳しい批評を待つ以外、何とも申し上げようがありません。
コラム
東 邦定
「1974年沖縄写真学校」より
「すでに新しい写真の時代は始まっている。いまこそ、写真について考える時だ」
日本復帰から2年後の1974年、那覇市八汐荘において森山大道、荒木経惟氏外5名の講師による沖縄ワークショップが開かれた。
25歳の私は当時、一般平均給与以上の3万円の授業料に勇気を出して講義を受けた。
沖縄写真界の重鎮、故山田實先生、第二回木村伊兵衛賞の故平良孝七さんと、20代から50代の写真家や写真愛好家30名ほどが参加していたことを思い起こす。
目隠しをしてカメラのシャッターを切ったり、沖縄市の古ぼけたバーの一角で光にこだわった撮影など、当時は撮影意図がなかなか理解できない事も沢山あったが、楽しかったと思えるワークショップであった。撮影後は講師の作品などを前にして写真の読み方や捉え方などの勉強会があり、その後泡盛、ビール等で酒盛り反省会なる宴会が開れ、それはそれは賑やかなお祭りのような反省会であった。
とくにアラーキーこと荒木経惟氏が毎日、昼夜と元気に動き回っていたのが懐かしく記憶に残っている。シャイな性格の荒木氏の一面をはたで見れた事は写真家以前に人としての生き方を見せて貰えたようにも感じた。
ほかの4先生方も一様寡黙な佇まいではあるが、奥底の 眼光は鋭く、そこに写真家として野心や一流の空気が漂っていた。
回想をすると、5名の講師方も異文化薫る沖縄に於いて自分の作風や日本というテーマ、作家同士で作る写真におけるの互いの関係性などを探っていたのだろうか?。
はたまた、写真の力で日本を変えようと思考していたのか彼らは当時日本の写真界で写真展や写真集出版など、カリスマ的に力を発揮している超一流の写真家たちであった。私の思い出に細江英江氏、東松照明氏のプリントにおけるグラデーションの素晴らしさに感動したこと、森山大道氏のプリントに影響を受け、アレブレ写真を模倣したり、アラーキーにも大きく影響を受けヌードで作品作りをしたりして、今でも当時の思い出が蘇る。
そう言えば、深瀬昌久氏の事で彼の実家は私と同じ営業写真館で実家を継がず写真作家になった方だった。作品も風貌からは感じられない?、超心象的で他の方とはまた一種、違ったオーラを感じたものだ。1956年~1958年代、アメリカで活躍していたロバートフランク、ウイリアムクラインの写真に森山大道、アラーキー氏達作家も作品創りに少なからず影響を受けていたのであろうか、他者の作品を参考にすることが世界の写真作家の風潮だったのだろうと考えられた。又、それは写真のみならず絵画などにも多く見られた古典的技法でもあった。
46年後の現在、写真業界はアナログからデジタルへ移行し作家の表現方法も多様化している。テクニックもアナログでは表現できないことも可能になり、多岐にわたる作品が表出している。業界では長い歴史を誇る写真雑誌アサヒカメラが今年7月号をもって、休刊に追い込まれた、
現在の様にSNSなど表現媒体が無い時代に出版された写真雑誌として映像表現時代を作り上げた功績は大きい。
多くの作家がお世話になった、富士フイルム社もモノクロフイルムや印画紙の製作販売を取りやめる動きが加速する。暗室で嗅ぐあの酢酸の臭いが徐々に消えていくのか…。
時代の流れでは済まされない侘しさが体の中から静かに沸きおこる。
コラム
東 邦定
「いちゃりばちょうでー」より
チャンプルーの語源は何処から来たのか?
ある人によれば其れは中国から来たと言うがその証拠は定かで無いという。インドネシアにある料理名にナンチャプルーというのがある。
沖縄もゴーヤーチャンプルーという料理があるのでもしかしたら語源は東南 アジア辺りにある様にも見える。
チャンプルーの意味は主体となる料理を他の具材とかき混ぜる事だからだ。
同時に地域性と言えば良いのか、人々の性格も似ているところが多い。スロ〜な時の過ごし方や使い方も内地に比べるとむしろ東南アジア近辺に近いのではなかろうか。時間にスロ〜な事が原因で内地の人々と衝突する場合もたまたまある事も事実だ。
それは価値観の違いによる他愛のない問題であると思える。
かって沖縄の魅力に取りつかれこの地に拠を構え住む人のことを、「沖縄病」に捕りつかれたと言われていた事が久しい。
しかし現実には今でも沖縄に転居する人々は確実にいる事も確かだ。この方たちはスロ〜な生き方の沖縄人がむしろ好きなのだ。
ここに様々な価値観があるわけで許し理解しあう関係性の大切さが見えてくる。
この地の人々はDNAにしっかりとそれを残している。ある人はこれをウチナンチューの魂(アイデンティティー)とも呼ぶ。
数ある沖縄の言葉に「いちゃりばちょうでー」という言葉がある。
「袖振り合うも多生の縁」に似ているが少しニュアンスが違う。
「いちゃりばちょうでー」はもう少し深く、生活の状態まで関わり合い共に生きていく関係性を謳っている様に見える。
大きな意味で言うと人類はみな兄弟家族とでも言う事だろう。口にこそ出さないが(そこが又、ウチナンチュらしいところではあるが)他者との関係
性を大事にする文化は王国になった辺りに出来上がったのだと思う。
傷つけあう無意味さを避ける事を自然に身に着けてきた民の優しさから来ているのだろう。
終戦から75年すぎ令和の時代になっても相変わらず経済中心の思考から脱却しきれていない世の中だ。
そろそろ「いちゃりばちょうでー」の精神で時代を進まねばならない時を迎えている。
この島にある素晴らしい言葉を生かさし、実践して行かないといけない。





